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最後のマルマル

アニメ・ゲーム・声優などに関する我楽多雑文。研究者兼大学講師をやってます。

第2章 豊崎愛生と声優・ソロ・スフィア―それぞれのバランス―(1)

声優 論文

はじめに
 声優雑誌に表出された豊崎愛生像を構成する要素として、注目すべきは三点ある。それは、声優(アニメ作品に出演している)としての豊崎愛生、ソロとしての豊崎愛生、スフィアとしての豊崎愛生であり、声優雑誌に記事として表れている豊崎愛生は、以上の三点中の何れか(あるいは複数)に属する豊崎愛生であることは明らかである(「豊崎愛生関連記事目録」参照)。つまり、声優雑誌に表出された豊崎愛生像を浮き彫りにするということは、各個について詳細な分析を行い、その相互関係やスタンスの違いについて考察を行うという作業が必要不可欠なのである。

1.豊崎愛生と声優
 豊崎愛生の基本であり根本であるスタンスとしては「あくまで声を使った表現者」、すなわち「声優」であるということが強調されているといえる。これは、『ボイスガールズ』VOL.6(2011年5月)で「まずは役ありきの人間なので、キャラクターや作品があってこそ仕事もさせていただけると思っていて。(81頁)」と述べていることや、『声優グランプリ』(2009年12月)で、2010年の抱負として「受けてくださるひとりひとりを心に思い描きながら、声を通じて丁寧に「届ける・伝える」ことを大切にしていきたいです。(23頁)」と述べていることなどからも明らかである。
 そして、この「自分が声を使った表現者=声優である」という意識が第一にあることから、音楽活動はあくまで声優の表現の一つとなっている。つまりは、声優と音楽活動がダブルススタンダードとして並び立っているのではなく、声優に付随するものとして音楽活動は位置づけられているのである。以下の記事は、その点を如実に語っている。

「私は、歌を歌うことだけをやっている人ではなく、歌も声優の表現のひとつとして『言葉をメロディに乗せて伝える』という感覚なんですね。技術的には未熟な部分だらけなんですけど、逆に、言葉を伝える仕事をしている人にしか歌えない歌があるんじゃないかなと思っていて。曲調的には、一対一でお話している感じというか、隣で絵本を読んでいるような音楽にしたいというのは言わせていただきました」
(『声優アニメディア』2009年10月、42頁)

「私はふだん声優だから、歌い上げる感じよりは、言葉をぽんぽん置いていくみたいな、「1個の物語を読みました…終わり」みたいな曲にしたいと思っていた」
(『ボイスニュータイプ』2010年12月、29頁)

「私、歌は得意だと思ったこと全然ないんですけど、せっかく声優さんという言葉を伝える仕事をやらせていただいているから逆に私にしかできない歌い方―普段朗読したり台詞を読んだりしてる感じで歌うことはできるんじゃないかなと思って。なので基本的には聴いてくれる人とメロディにのせておしゃべりするんだみたいな気持ちでいつも声を出してます。」
(『ボイスガールズ』2011年5月、80頁)

 以上の記事内に見られる「歌も声優の表現のひとつ」「言葉を伝える仕事をしている人にしか歌えない歌がある」「〔声優である〕私にしかできない歌い方」などから、豊崎の歌や音楽に対するスタンスが如実に表れている。歌も声を使ったものである以上、声優の表現の一つに内包されるものであり、声優が「声を使った表現者」であるという基本であり根本でもあるスタンスにも矛盾することもない。豊崎は実に論理的に、自身のスタンスを認識し、言語化しているのである。
 特に2009年は、スフィアでのデビューがあり、ソロデビューもあり、「けいおん!」でバンド演奏も行ったりと、歌や音楽に関わることの多い年であったが(※1)、その2009年を振り返った際においても「09年は音楽を通じてメッセージを伝えるという表現方法をずっと模索していた感じがします。(※2)」、「演技はもちろんなんですけど〔中略〕まず音楽で表現することを勉強した1年でした(※3)」と、音楽を通じて表現する「表現者」であることを一貫して述べているのである。

2.豊崎愛生とソロ
(1)豊崎愛生らしさ
 あくまで声優であるという大前提のもとに音楽活動を行う豊崎であるが、ソロ活動を始めるにあたり、「私らしさ」「自分らしさ」というような、豊崎愛生のパーソナル性を前面に強く打ち出している。当然、「声優としての」というニュアンスが頭の修飾語として含まれていることは言うまでもない。以下に引用した記事は、デビューソロシングル「loveyourlife」について語っているものである。

「声を使って表現をしていく方法のひとつとして、得意ではないけれど、歌うこと自体は大好きなので……またひとつ自分の世界観を広げるチャンスをいただけてうれしかったです。ただ、今回は自分名義の曲ということで、「どう歌えば自分らしくなるんだろう?気持ちをストレートに表現できるんだろう?」という部分では悩みました。」
(『声優グランプリ』2009年10月、22頁)

「今回のアルバム〔ママ:「loveyourlife」を指す〕はあらゆる意味で、“私らしさ”が詰まっていると思います〔中略〕もし今後も機会があったら、マイペースに私らしく歌っていきたいです!」
(『声優グランプリ』2009年10月、23頁)

 声優としての音楽活動に、豊崎愛生というパーソナル性も加えたものが、豊崎愛生名義のソロ活動であると考えられる。パーソナル性を加える必要性は、もう一つの音楽活動である「スフィア」との差異化にあることは想像に難くない。そのスフィアでのライブにおいては、スフィアとしての曲を歌うだけでなく、各メンバーがソロ曲を披露している。2009年8月のスフィアライブにおいて、豊崎は井上陽水の「少年時代」をソロ曲に選んで披露したが、その選曲の理由について「私は自分が歌う意味みたいなものをカバー曲でも伝えられたらいいなっていう、自分の中の勝手な願望もあったりして。(※4)」と述べており、ソロデビュー前の時点ですでに「自分が歌う意味」を考えていたことがわかる(※5)。
 ここで想起すべきは、第一章で触れた豊崎愛生の「負の感情」である。豊崎愛生というパーソナル性を自身のソロ音楽活動に打ち出す過程において、「負の感情」という、ある意味で剥き出しとなったパーソナリティをソロシングルに反映させることは、豊崎愛生という人間において、必然的に通るべき道だったと考えられる。
 ソロデビュー前から見られていたこの「私らしさ」「自分らしさ」は、2011年6月1日に発売される1stソロアルバム「loveyourlife,lovemylife」にまで受け継がれている(※6)。豊崎は、アルバムにしか収録されない曲はシングル曲より、よりパーソナルなものとなっていると述べており(※7)、当該曲に関する個別的、音楽的研究も今後必要となろう。
 そして、忘れずに指摘しておかなければならないのが、このパーソナル性を押し出す行為が、「自己満足」であり「わがまま」であることを豊崎自身が認識しているという点である(※8)。それでもなお、共感してくれる人に聞いて欲しいという豊崎の呼びかけに対し、自己主張が強すぎるという評価を与えるも、自然体で素直であるという評価を与えるも、受け手次第なのであるが、声優雑誌誌上の豊崎愛生の人気を鑑みると(序章参照)、概ね肯定的に受け取られているといえるのではないだろうか。

(2)成長・変化する豊崎愛生
 声優という職業に対する矜持や、一貫した「私らしさ」「自分らしさ」の追求などには、変わらぬ信念、豊崎愛生の芯の強さ(第一章参照)を感じられるが、豊崎愛生も一個の人間であり、齢20代の女性である。彼女も様々な経験を経て、日々成長し、変化している。その成長というものに、魅力を感じる人も多いのではないだろうか。その成長・変化について豊崎自身は、以下のように語っている。

≪2010年11月10日のDILLについて≫
「この曲を作っている時に、すごく変わったことがあって。自分が歌う意味をずっと考えてきて、『DILL』でひとつ答えが見えたような感じ。すごく大切な曲です。」
(『声優アニメディア』2011年5月、12頁)

「私、自由な歌が歌いたくて。ある意味『Dill』は私なりのプログレなんです(笑)。」「“音楽は楽しく自由に作るのが一番なんだ”ということを教えてもらった歌だった」
(『ボイスガールズ』2011年5月、80頁)

「お客さんの前で自分の良いところも悪いところもさらけ出して、飾らずに歌うのがすごくカッコイイし、そうするのがアーティストさんなんだなって思って。だから、シングルを聴いてもらえれば、豊崎愛生ってどういう子なのか分かってもらえるような歌を、これからも歌っていきたいです」
(『ボイスニュータイプ』2010年12月、29頁)

 2010年11月10日発売の3rdシングル「DILL」が、ソロ活動をする豊崎にとって大きな転換点だったことがうかがえる。各種の声優雑誌を突き合わすことで、その成長・変化の内実まで読み取ることができる。それはすなわち、「かっこよさ」の追求である。この「かっこよさ」は「自分らしさ」と密接不可分の関係でもあろう。自分らしさを出すこと、自分らしく楽しく歌うこと、これら全てが「かっこよい」ことなのであり、豊崎のソロ活動において揺るがない矜持となる。「DILL」発売以後、「かっこよさ」というキーワードが誌面に散見するようになる。

「みんなを楽しませようというのはスフィアでやっていることなんですけど、ソロで歌うということは、自分が本当にカッコいいと思っているものを追求するっていうことなのかなって考えるようになりました。」
(『ボイスガールズ』2010年11月、47頁)

≪アルバム収録曲「alright」について≫
「かっこいいというのも、バキバキにロックを歌っているわけじゃなくて、余裕のある笑顔でペラペラ英語の歌を歌っている感じが、私の中での「かっこいい」だったので、それを目指しました。」
(『声優グランプリ』2011年5月、28頁)

 各声優雑誌において、これだけ一貫した個人の体系的主張を見る事ができるのは、豊崎が確固たる信念のもと、論理的に客観的に自己を見つめていたことに他ならない。

(3)ソロライブ
 豊崎のソロ活動においては、CD発売だけでなく、ソロライブも重要な活動の一つを占める。ソロライブにおいても、前述の通り「私らしさ」が追求されている。

≪2010年1月のソロライブについて≫
「来年、スフィアのメンバーがソロでライブをやるんですけど、私なら座って聴けるような、ねむーい、ゆるーいライブをやってみたいな。」
(『ボイスニュータイプ』2010年12月、30頁)

「私はのんびりしたライブにできればいいかな。座って聴けるぐらいのゆる~いやつ(笑)」(『声優グランプリ』2011年1月、109頁)

「『私ならではのモノってなんだろう?』と改めて考えるきっかけになっています」「自宅ライブのような、アットホームで温かい感じのものにしたいですね。“みんなでゆっくり過ごす午後”みたいな(笑)」
(『声優アニメディア』2011年1月、23、24頁)

「ただ、スフィアで見せるライブとは違って、私のシングル曲はゆったりした感じのものが多いので、椅子に座って気持ちよく聴けるようなライブにしたいと思っています」
(『ボイスガールズ』2011年2月、35頁)

 ここで想起すべきは、第一章の「「ふわふわ」などの擬音が似合うパーソナル性」である。上記引用資料内で使用されている「ゆる~い」「ゆったり」「のんびり」などの表現は、豊崎を表す評価表現であることは先に述べた通りである。「私らしさ」がライブにおいても一貫して追求されており、スフィアとの差異も考えられている。
 上記は、2010年1月のソロライブについての豊崎の発言であるが、ライブレポートでも「客席のファンも、立って跳びはねる人、座ってじっくり歌を聴く人など、実に様々。まさに彼女がテーマとしていた、いい意味での“ゆるさ”が感じられるステージとなった(※9)」と記されている。「座ってじっくり歌を聴く人」がいたことに注目したい。豊崎の思いは一方通行だったのではなく、その思いを汲み取るファンも確かに存在していたのである。声は届いていた。
 同年6月4日開催のソロライブ「loveyourlive」に際しても、豊崎のこの思いは一貫している。

「アルバムもライブも、私にしかできないことをしようと、すごくこだわって作っています。今まで誰もやってないことはきっとないんだろうけど、こういう形でやる人はいないんじゃないかと思ってもらえるようなものにしようと、今もがいているところです。」
(『声優グランプリ』2011年4月、122頁)

「自由なコンサートをする予定ですので、好きなスタイルで、好きなテンションで、ゆるんと遊びに来ていただきたいです。」
(『声優グランプリ』2011年5月、29頁)

「コンサートもちょっと変わった感じにしたいんです。みんなに癒されて帰ってほしいなとか、絵本を読んだあとのような気持ちになってもらえたらいいな~とか。」
「私のソロコンサートに来てくださる方たちって、すごく距離感が近く感じられるなと思ったんです。そういう意味では、スフィアみたいに幅広く大勢の方に向けてパフォーマンスするのとは違って、マイペースでゆるっと進めていくほうがいいんじゃないかなって。」
「私らしく肩の力を抜いて、みんなと一緒にあったかい空間が作れたらいいな~と思います。」
(『声優アニメディア』2011年5月、16頁)

 あくまで「私らしさ」は追求しているものの、それを押し付けようとすることは意識的に避けていることが考えられる。座ってじっくり聴いて欲しいとは明言されていない。あくまで「好きなスタイルで、好きなテンションで、ゆるんと遊びに来ていただきたい」というスタンスなのである。当然、行間から豊崎個人の要望を恣意的に読み取ることもできるが、一方で、明言を避けている点に焦点を当てるのならば、豊崎の思慮深さをうかがいしることができる事例でもあるといえよう。
 そして、特に注目すべきはスフィアとの差異化であろう。今まで見てきたなかにも、スフィアという言葉が幾度も出てきている。豊崎のソロ活動において、必然的に比較対象となるスフィアの影響力は大きく、豊崎のスフィアへの思い、考え方を今一度整理する必要がある。

(2)に続く


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