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最後のマルマル

アニメ・ゲーム・声優などに関する我楽多雑文。研究者兼大学講師をやってます。

西尾維新『クビキリサイクル』(講談社、2008年)感想

小説・ラノベ・漫画

(以下の記事は2009年7月30日に某サイトに掲載していたものを加筆修正したものです。当該作品で西尾作品に本格的に嵌ってしまい今に至ります。この頃のひねくれ具合も我ながら愛おしいです)

 

読むに至った経緯はこうです。
化物語の会話が琴線にふれる。言葉回しがすごい好き。
②原作は誰だ→西尾維新
西尾維新?ジャンプのメダカボックスの原作者じゃねーか。
化物語はアニメ見終わったら見るとして、違う作品読もう。
⑤違う作品は何か→戯言シリーズ→これ、ラノベランキングに入ってたやつだ。
⑥じゃあ、読もう
・・・という歴史的経緯がありました。

 

果たして、私のファーストインプレッションは間違ってなかった。
めちゃくちゃ面白い、というか個人的嗜好に合致しまくり。
何より言葉回しというか、文章というか、会話の流れというか、それらが悉く琴線にふれます。「世界」の捉え方(世界観)も大変共感できる(その真偽は別はして)。

 

加えて、ミステリー要素や推理要素。
個人的にあまり、その類の作品を読んでこなかったので面白い面白い。推理物が一大ジャンルなのも肯けます。
二転三転して、最後の最後でも大どんでん返し。その、カタルシスたるや。

 

私が読んできた(プレイしてきた)中で、類似作品はあげるとしたら、「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」や「車輪の国、向日葵の少女」などです。類似とは失礼な表現ですね、相通じるものがある作品群、でしょうか。
ミステリー要素や、独特な世界の捉え方とか、通じるものはあるんじゃないかと。
しかし、比較考察は無粋ですね。
無粋だと感じるくらい、好きな作品です。

 

そして、私の衝撃。
当該作品が、2006年の「このライトノベルがすごい」で一位をとっていたこと。
この評価は、読者が作品内の世界の捉え方に共感したのか、ミステリー物としての高評価だったのか、はたまた両者を含めた上での高評価だったのか、私にはわかりかねます。

 

一方で、前者の場合、私は少し「怖い」と感じてしまいますw

 

この本を読んで世界が広がったと思っている人が多かったら少し怖いです(具体的事例は、文末に象徴的な文言を引用しています)。
当該作品を読んで「こういう捉え方ができるんだ」、「私が思っていたことを言語化すると、こういうことだったんだ」と思うこと自体は全く悪いことではないと思いますが(余計なお世話ですし)、それでも漠然とした「気持ち悪さ」は感じざるを得ません。
哲学の本を読んだ人の例の感じに似ています。ちょっと何か悟ったようなw
これは、あくまで西尾さんの世界観だってことは留意すべきだと感じます。作品中においても、其の旨、言及されているような。
それでも、それに共感して自らの価値観とすることに問題はあるはずもなく。ただ、その際は戯言シリーズ(ないしは西尾維新)の名前は伏せることをお勧めしたいと思います。

 

読んでいて印象に残ったのは「天才」というワード。
西尾さんにおいては、「天才」というワードに物凄い拘りを感じます。
ジャンプの「めだかボックス」も登場人物は所謂「天才」達です。
西尾さんは自身を「天才」にカテゴライズしているのか否か。もしくは、西尾さんは作中に登場するような「天才」達に類するのか否か。若干、意味合いは異なります。
まだ一冊読んだだけでは愚考すらできないのですが、気になる点ではあります。
ただ、邪推をするならば前者は「否」でありつつも後者は「是」である感じがしなくもないです。

 

勿論、西尾さんの中において「天才」の定義は複雑立体的に確立しているんでしょうけれども(アトガキなどから)、作品内に登場する天才達はとても解り易いです。ステレオタイプというかw物語シリーズが典型的な「萌え」要素をより一層の誇張表現でキャラクターに纏わせたのと同様、戯言シリーズでは典型的な「天才」的要素を一層誇張し、癖のありすぎる人間として造形しているように感じました。

 

そして多分、私を含め読者の多くは作中に出てくるような「天才」ではないでしょう。それは、私達が現実世界で大多数を占める普通の人間であるからという「マイナス」的意味ではなく、出過ぎた人間が現実世界では生き辛いということを知っている賢い人間であることを意味します。これは、実に複雑な心境であることは想像に難くありません。
だからこそ、フィクション作品であるという前提を踏まえても、羨望・嫉妬・憧れ・不快・意味深・感嘆といったような肯定・否定入り混じった感情を抱いてしまい、結果として作品に対する高評価に繋がるのではないか、と。

 

さらに―これは個人的な願望が強いのかもしれませんが―その作者たる西尾さんを、「天才」達を生み出す(難なく描いてしまう)西尾さんを、「天才」に類するものと思ってしまうのではないでしょうか。
少なくとも、私に出来ないことが出来る西尾さんは私よりも「天才」には近いw
作中に出てくるような天才からしてみれば、些細なことかもしれませんが西尾さんの博識さと文章力には素直に感嘆してしまいますけれどもね。
私の三つか四つ上で、このような作品が描けるなんて・・・と思うのも無理からぬことであり、そのような人間に対して全面的な敬意を表することが一番楽だったりします。
上には上がいますからね、とここは場を濁すこととしますが。



そんな読者の心を知ってか知らずか、「アトガキ」に以下のような記述があります。

 

「天才の価値を見出せるのは天才ではありません。(中略)
天才を理解するのは、いつだって凡人です」

 

あきらかに解って書いてますよねw作品を読んで読者がこう思うであろうことを、解ってて「あとがき」で予防線をはっておく。毎回「あとがき」で「ずるい!」と思うのは私だけはないはずですw

 

つまりです。
西尾さんは自身を「天才を理解『できる』凡人」にカテゴライズしているのではないかという邪推ができるわけですが、私はさらに悪意を以てこう思うわけです。
それができること自体、一種の「天才」なのではないかと。
凡人たる私は「天才を理解するのは、いつだって凡人です」と言われて、ついつい喜んでしまいそうになりますが、よくよく考えてみたらそれはおかしい。
広辞苑』の「凡人」には「特にすぐれた所のない、普通の人」とあります。天才が理解できる=ある程度優れてなければ不可能です。そして極めつけはその用例です。

 

「―〔凡人〕には理解しがたい」

 

完全に、広辞苑の「凡人」理解に喧嘩を売っています。
西尾さんも凡人に天才を理解できるなんて思ってないのではないでしょうか。これまた「アトガキ」においてもなお言葉遊びをなさっている、そう感じざるを得ません。

 

さらに極論ですが。
私達読者は、作中の天才を理解できると思い込まされることで、自分以外のその他大勢の一般民衆たる凡人とは異なる一歩抜きん出た凡人であると思うことができ、そこに一種のカタルシスを得るのではないでしょうか。一歩抜きんでた時点で最早凡人じゃないんですけれどもね。「天才」と「凡人」と二項対立的に捉えてさせている所が、西尾マジックなのかもです。秀才、良才、有為の人物、俊才などなど、「天才」ではない微妙な表現方法も日本語には多くあります。
「人とは違う」・・・それは何て甘美な言葉なのでしょう。
やっぱりどこかで「自分は究極的に凡百たる他人とは違うのだ」と、そう思わざるをえない「ヒト」ではない「人」としての性質が、この作品を好んでしまう所以なのかもしれませんね。

 

まぁ戯言ですけどね。



以下、私が気に入った台詞抜き出しです

 

■7P
「無能だったらそれはそっちの方がいいんだ。とんでもなく愚鈍だったなら。
生きている理由をそもそも考えないほどに、生きている意味をそもそも考えないほどに、生きている価値をそもそも考えないほどに鈍感だったなら、この世は楽園でしかない。
平穏で、平静で。些細なことが大事件で、大事件は些細なことで、最高の一生を終えることができるんだろうよ。」
→これは、本当にその通りだと思ってしまいました。
中途半端な人間が一番辛い世の中なんじゃないかとついつい思ってしまうわけですね。
天才じゃないけど、そこまで馬鹿じゃない、と客観的で謙虚なのか、自惚れなのか解らない意識がそう思わせてしまっているのでしょうかね。
本当に、自分は他人を馬鹿にして生きているんだなーと再認識させられます。

 

■8P
「世界は優秀に厳しい。世界は有能に厳しい。
世界は綺麗に厳しい。世界は機敏に厳しい。
世界は劣悪に優しい。世界は無能に優しい。
世界は汚濁に優しい。世界は愚鈍に優しい。」
→上に同じ

 

■8P
「人の生き方ってのは、要するに二種類しかない。
自分の価値の低さを認識しながら生きていくのか、
世界の価値の低さを認識しながら生きていくのか。
その二種類だ、」
→どっちを選んでも楽そうは楽そう。

 

■42p
収穫逓増→「《現実的な問題として一旦ついてしまった差を埋めることはまず不可能だ》という意味だ。お金であろうと才能であろうと、それは同じらしい。」
→時々、「現実的」と「客観的」の使い分けがわからなくなるわけですが・・
現実を生きてきて、そのような経験をすることは嫌というほどあります。

 

■59P 
女権拡張とかウーマンリブ→「自分が何もできないことに対してなるだけ安易な理由を求めているように私には思えるけどね。」
→作者の意見を、フィクションたる登場人物に語らせるという手法を考えた人こそ、天才だと思いますw

 

■61P
「区別と差別の間には本来何の違いもない」
→そーかなー?と思いました。

 

■92p
「できないとやらないは一緒」
座右の銘にしたいぐらいの一文。全くその通りです。
凡人たる私は、人より多くやらないといけないと思いに思いまくるわけですが。まぁやったから結果がでるわけでもないんですけどね。

 

■96p
「自分の値打ちは自分がよく知っている。
頭の悪いいい加減な連中の評価なんてこっちから願い下げだね」
→凡人て「頭の悪いいい加減な連中」なんじゃないのかと思ったりしたわけですが、凡人は決して悪くはないんですよね。

 

■112p 
「能力に秀でた人間には二種類ある。選ばれた人間と、自ら選んだ人間。
価値のある人間と、価値を作り出す人間とだ。」
→私にとって、全女性は前者だと思います。

 

■125P
「他人のために感情を発揮できる人間はね、何かあったときに他人のせいにする人間だからだよ。」
→あまりお目にかからない事例です。

 

■249p
「得意不得意、得手不得手というものはあっても、本来専門なんてものはあるべきではない。」
→耳が痛いご指摘。特に日本。
どう考えても他専攻についても理解があれば、視点はその分広がるわけです。
問題は、その能力が私にはないってことですが・・・

 

■267p
「天才は異端から生まれる。・・・・ただし異端が全て天才だとは限らないがね」
厨二病のことかぁ!と思った私を誰が責められよう。