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最後のマルマル

アニメ・ゲーム・声優などに関する我楽多雑文。研究者兼大学講師をやってます。

2012年冬アニメ最終回視聴後の総括的感想(1)


冬アニメもほとんどが最終回を迎えております。
あと数日には新・春アニメの季節です。
アニメの「回顧と展望」のような感想をば。
いつかは、本家のように「2012年のアニメ界―回顧と展望」などのようなものを書いてみたいですね。

※以下、最終回までのネタばれ含みます。

 

 




【月曜日】

夏目友人帳(四期)
相変わらずのヌクモリティでした。
「つー」と頬をつたうような涙が流れる作品です。
BGMも所謂「パブロフのBGM(流れるだけで涙腺が緩む)」で、その重要性を改めて感じました。

当該作品は、視点をどこに置くのかで世界観の捉え方に個人差がでるように思えます。それは、夏目君視点なのか、夏目君以外の「見えない」人々の視点か、という違いです。
後者の場合、夏目君は本当に「危ない人間」でしかありません。これが、作品内で随所に表現されているわけですが、冷静に考えると実に怖い。現実社会には、自分とは相容れない人間、言動や挙動を理解できない方々が往々にして存在するわけですが、当該作品からこの点を見つめ直すと、もしかしたら彼等は私が認知し得ない「正しい何か」を「見ている」のではないか、「間違っている」のは私の方なのではないか、という仮説に辿りつきます。彼等こそが物語の主人公であり、私を含めた所謂一般的常識人は物語の脇役であり、主人公を理解することのできない妖怪以下の存在なのではないか、という疑念すら生まれます。最終的には、「お前がそう思うんなら正しいんだろ。お前の中ではな」に落ち着かざるを得ず、どちらが正しいとは断言できなくなります。

当該作品においては、夏目君を理解できる妖怪と夏目君の不審な挙動に奇異の目を向けるモブ的人間群という対置、主人公たる夏目君が現実世界と妖怪との折り合いに頭を悩ませていることを主要テーマの一つとして描いていることから、当然ながら前者の視点(夏目君側)に重きを置いております。それは、フィクション作品として、娯楽作品として当たり前の姿勢でありますが、それだけに留まらず後者への視点(夏目を奇異に見る側)をそれとなく匂わせることによって、作品に深みを与えております。

また、幼少の夏目君をたらい回しにする親族、幼少の夏目君をいじめる児童達、彼等こそがまさに現実の権化であり、フィクションとリアリティとの絶妙なバランス、乃至は相容れない世界のユニゾンに繋がっているのだと考えられます。

翻って私自身を見つめ直した時、夏目君のような人間が身近に存在していた場合、どのような視線を自分は送るのか。「私は夏目君を虐げるような人間にはならない」と思うだけで実際の行動には結びつかないのではないか。
アニメに何か力があるのだとしたら、このような自問自答を作品を通して行えることが一つにあげられると思います。

話がそれにそれましたが、にゃんこ先生がかっこ可愛い。見事なまでのギャップ、「狼と香辛料」のホロに通じるあのギャップ(変身前と変身後)がキャラクターに凄まじい魅力を与えております。
単純に、人間と人間ならざる者が心を通わすという、その過程がたまりません。それは、人間同士ですら難しい相互理解を、人間という枠内を越えて行えている所に憧憬を抱き、また人間同士でないからこそ相互理解の可能性を彼等から見出しているのかもしれません。

ゼロの使い魔F(四期)
後述の「灼眼のシャナ」を含め一つの時代が終わった、そう感じざるを得ません。
そして、個人的にも一区切り、のように感じております。

それは、私がアニメにハマり出したキッカケの一つの作品であったからです。
まず、アニメでルイズという女性に心の全てを奪われました。こんな可愛い女性が二次元には存在するのかという驚愕。
ツンデレといえば、まさにルイズを想起させました。
アニメ一期を見た後、原作の既刊全巻を購入し、その全ての巻のルイズと才人のいちゃいちゃシーンをブックイヤーし、何度も何度も読み返しニヤニヤしておりました。他大学の大学院修士課程に進学し、新しい環境への不安で押し潰されそうな時分、その世界に浸っていることで幾分か救われていたと思います。それだけに、思い入れも強い。
声優さんに興味を持ったのもこの頃だったように思えます。釘宮病に当然のように罹患し、釘宮病関連動画の閲覧にこれまた日々勤しんでおりました。初めて買った『声優グランプリ』も釘宮さんが表紙だったからこそ、購入に至ったのです。その『声優グランプリ』を史料に豊崎愛生研究なぞを始められたたのも、考えてみれば釘宮さんという先人がいたからだといえるのではないでしょうか。当然、今も大好きです!

そのアニメ作品が終わりました(原作は終わってませんが)。物事には終わりがあります。私は卒業式など、泣いたことがありません。悲しいと思ったこともありません。それは、「終わりを悲しんでいたら身が持たない」と自分に言い聞かせていたからです。
結局は、悲しみから逃げていただけに過ぎません。自分を悲しみの底に沈めたくないという自己愛故の自己防御。そんな人間の本能すら突き破り、私に「終わりを悲しませた」作品が「ゼロの使い魔F」なのです。

原作を愛している私にとって、正直アニメ作品の内容に十分な満足を得られてません。
特に二期から四期の終盤や締め方には失望したと言わざるを得ません。
ただ、内容は二の次で良かったのも、当該作品の特徴でした。

ルイズが!

動くだけで!喋るだけで!

頬を赤らめるだけで、私は幸せだったのです!


可愛いは正義。2000年代後半、私は全世界の女性がルイズみたいになればいいのにと本気で思っておりました。


男子高校生の日常
今期のギャグ枠で群を抜いておりました。
原作漫画を購入したほど。個人的にもかなりの高評価でないと、購入という行為には結びつきません。
男子高校生のあるあるネタなんですけれども、微妙に「あるあるじゃねーだろ」という線をついてくるのがニクイ。

メインは表題の通り、男子高校生なのですけれども、登場する女性陣が兎にも角にも可愛い!
風俗の目隠し効果、ここに顕現せり!といった感じで、人間故の「想像力」の偉大さたるや。
上記「ゼロの使い魔」のルイズが古典的なキャラ造形だと思わされてしまう程、女の子の「萌え(最早死語か)」の緻密細分化が確認できるかと思います。

特に厨二病的な文学少女がたまりませんでした。
腹抱えて笑いながらブヒるという貴重な体験をさせて頂きました。

あと、私もりんごちゃんのパンツ見たい、そう思いました。


【火曜日】

ちはやふる
胸が熱くなって涙が溢れる作品でした。
本当に毎回のように泣いていたような。毎回、泣かせるポイント(胸熱ポイント)があった点も、作品全体を通し個人的高評価に繋がっております。最後は不完全燃焼の感が否めませんでしたが、これは二期があることへの期待としてマイナス評価には繋がりません。なかったら、原作買ってやる!てな勢いです。

ちはやふるについては、前にも感想を書いたような気がしますので繰り返す事は避けますが、最終回迄を通し「前向き」に「すぎる」作品だなぁと改めて。眩いくらいに前向き。その若さに目を背けたくなる層が主なアニメ視聴層であったり、円盤購入層であったりするのかもしれません。私も半分は羨望の眼差しでした。

個人的に努力できる人間は凡人ではないと思っております。当該作品の登場人物は努力できるだけでなく(努力するのは大前提)、その努力が一定の成果として結びついている(個人差はあれども)。そこに共感できる人は恐らく多くはない。我々凡人がそこでできる「感情移入」とは「羨望」であったり「嫉妬」など否定的な感情である、といったら極端過ぎますでしょうか。

また、当該作品(おそらく原作も)が凄かった点は、競技カルタの難しさ、厳しさを忠実に丁寧に描写していた点です。
はっきり申し上げて、競技カルタに手を出そうと微塵も思えなくなりました。自分の能力では到底無理だと、現代青年特有の無気力に陥らさせて頂きましたw一方で、それだけ、身を乗り出してしまうような手に汗握る緊迫した試合描写だったと思います。軽々しくカルタに手を出そうと思ってるんじゃねぇ!と。作品が語りかけてくるとはまさにこのことです。
最後の最後でカルタは持って生まれた才能(感じの良さなど)だけではないと申し訳程度の主張がなされ、部長も「持たざる」側の人間としてその苦悩が作品の到る処で描写されておりましたが、それだけでは私のような凡人の人間の共感を得ることは難しいかもしれません。彼は容姿端麗で勉学の成績も優秀。そんな彼でさえ、カルタの世界では上には上がいる。部長に優る「世界(カルタに限らず)」に生きている(有している)という自負を持つ人間は、そこに一定の溜飲を下げることが可能ですが、その自負すら持てない人間は、当該作品に劣等感しか抱くことができないのではないでしょうか。考えすぎでしょうか?

しかしながら、以上のような懸念も私が最早年老いているから生じるものでありましょう。
若い人には是非、この作品を見て欲しい。そして熱いパトスを感じ、何かに向かって前向きに突き進んで欲しい。それを可能としてくれるだけのエネルギーある作品でした。
けいおん!」のように中学高校の部活で「カルタ部」が大人気になったり!・・はしないでしょうけれども、中高生への影響力が垣間見れれば、それも「アニメの力」の一つだと誇ることができるのかもしれません。


パパの言うことを聞きなさい
父性に目覚める作品、と勝手にカテゴライズしてみました。
正直、リアリティを求めると突っ込み所が多すぎるので、そこら辺は頭の隅においやりつつ、20代前後で家族を養うことへの大変さを真摯に描いた作品として楽しむのが正解だと勝手に理解しつつ視聴しておりました。

まず、主人公の聖人君主ぷりに驚愕です。リアリティの欠片もない。私達男性がアニメ作品の女性にあり得ない幻影を抱いているのと同様、男性もまたしかりということなのでしょうかね。同性だからこそわかる、男性は屑しかいません。この主人公に共感できる男性が過半数を越えるのであれば、日本という国は今とは全く異なった国民国家となっているはずです。

しかしながら、主人公の男性として、或いは父親としての逸脱ぷりも当該作品の突っ込み所の一部なので、突っ込むだけ野暮なのかもしれません。すいませんでした。

私が当該作品を毎週楽しみにしていた最大の要因は・・・


そう、「ひなだお」こと、

小鳥遊ひな、三歳でしゅ!

彼女の可愛さは、まさに作られた幼い可愛さなわけですが、見事にクリーンヒットしましたね。
理由はどうせ何を言っても言い訳と恣意的に捉えられるので、「ロリコンだから」でいいです。めんどくせー。
本当に子ども欲しくなってしまいました。偶然にも愚弟が子どもを授かり、私にも姪なるものができたことも重なりました。子供の可愛さは理屈じゃないってのを、抱っこして理解しました。百聞は一見に如かず、ではないですが、実際に体感することで去来する感情は確かに、ある。
守ってあげたくなる可愛さ。ひなが商店街中の人々に愛されていたのも強ち過剰表現ではないと感じた次第です。


あの夏で待ってる
今期五本の指に入る、柑菜に陥落するアニメ。
叫びたいことは、以前の記事(柑菜に陥落した、この冬を忘れない)で叫びつくした感があります。
詳しくはそちらをどうぞ、という手抜き。

最終回、まさかの「お願いティーチャー」とのクロス。予想はしていたのですが、まさか本当にやるとは。
今期、MXでおねてぃの再放送をやっていましたが、「再放送は見ないぜ」というマイルールにより、スル―。
しかしながら、先日友人宅にお邪魔した時に偶然にも最終回を見ることになりました。


・・・・視聴後・・・・


Oh・・・見ておけば良かった・・・orz
と、激しく後悔。

最終回だけでも、見ておくのとおかないのとでは、楽しみ方に雲泥の差が。
後悔先に立たず。しかしながら、当初はこんなにも嵌るとは思ってなかったので、しょーがないですね。

最終回で、海人君が語っていた「だから僕は生きていた証としてこの世に何かを残したい」的なアレ。
おそらく、全ての人類が思っているであろうこの根源的欲求。
例えばそれは、自分の子供(DNA)を残すことであったりして、それが恋愛や結婚、さらには性交渉を肯定的に評価する重要要素だったりするのだと思います。
私の場合は、生きた証として名前を残したいという思いがありました。
そして、自分の能力の範囲でそれを可能とするのが、今まで一番時間を費やしてきた勉学であると。
論文や単著を出せば、少なくともその成果物が国会図書館には残る。ネットにだって残る。
本当にそれだけを目標に頑張ってきました。自分の研究が、今後の人間社会において寄与することがあれば幸いであると。
論文に関しては取り敢えず叶ったので、あとは単著。そのための博士論文執筆を今現在頑張り進行中というわけです。

最早、アニメ感想ではなく自分語りになってしまいました。しょーもな。
ただ、改めて人生の目標を考え直す切っ掛けを与えてくれたという意味でも、あの夏は心を揺さぶられるアニメであったと、それを伝えたかっただけです。


【水曜日】

未来日記

(最終回が終わり次第、感想をば。忘れる可能性あり)


(2)に続く